平澤熊一について(プロフィール)
平澤熊一(ひらさわ くまいち)は1908年(明治41年)、新潟県古志郡上組村(現長岡市)に8人兄弟の末っ子として誕生した。はじめは建築士を志し上京、1927年(昭和元年)に工学院を卒業。しかし工学院で学んだ絵画に興味を抱き、1928年(昭和2年)より川端画学校で洋画を学ぶ。1933年(昭和8年)台湾に渡り1937年(昭和12年)まで滞在、作品の制作に専念。帰国後東京豊島区に住み麻生三郎、井上長三郎、柿手春三などと交友を持つ。1945年(昭和20年)空襲を避け郷里の長岡に疎開、戦後1950年(昭和25年)に妻の郷里である宇都宮に移り自ら設計したアトリエで半生を過ごす。1971年(昭和46年)画集「台湾」を刊行、宇都宮在住20周年展、その間、東京、宇都宮など多くの個展を開催するかたわら公募展にも出展。自由美術協会会員。1989年(平成元年)12月4日死去。翌年1990年(平成2年)12月5日~10日に宇都宮文化会館にて平澤熊一遺作展(主な油絵、スケッチ130展)が開催された。
本ホームページについて
熊一の作品、日記、短歌、その他の資料の調査が栃木県立美術館によって行なわれた結果、その作品の芸術的価値の高さが評価されたのを受けて、平澤熊一作品保存会の発起人達が熊一作品の知られざる芸術の一端を紹介することが出来ればと、ここに平澤熊一記念館としてホームページを立ち上げた次第です。本サイトの制作の快諾と、協力を頂いた関係各位、そして遺族の皆様に心から御礼申し上げます。
熊一プロジェクト(ホームページ作成発起人)
小林 幸正、花塚 直、磯村 美和、川田 征二、渡谷 斉、その他多数
マネージャー :小林 幸正
写真撮影 :花塚 直(画伯作品)
:栃木県立美術館提供
協力 :平澤熊一画伯ご遺族の皆様
ホームページ作成:渡谷 斉