東京池袋から長岡疎開時代
「小さい花にも感激が出来る心を持ちここから出直し」
美術文化第1回展会場にて北京から帰国後結婚し阿佐ケ谷に新居を構えそこで長女が生まれる。後1943年東京豊島区池袋の要町(アトリエ村)にアトリエ付き長屋を借りる(長男誕生)。この頃の作品の多くは紛失してしまったが、2015年に見附市公民館にて120号の大作『南苑』が発見された。この作品は美術文化協会主催の第4回美術文化展に出展され、奨励賞を受賞した作品であり、この時代の作品としては小品を除けば現存する唯一の作品となる。この時代多くの画家がシュールリアリズム表現の傾向が強く平澤も同じくその傾向の作品を手掛けていた。
1945年の4月、池袋から郷里の新潟県長岡市に疎開している(1978年次男誕生)。そのころの作品は大作はなく公募展もなかったようである。作品は小さいながらも穏やかな作品が多いが、ジャンル的にはさまざまな作品を手掛けている。(1940年9月29日の日記から:自分は近ごろ花だけを描いている。花だけに感激を求めているのだ。小さい花にも感激できる心を持ちたいものだ。ここから出直しではなかろうか)大戦中の世の荒んだ心を持ち直すかのように!!
作品所蔵美術館:
(1) 『発芽』 郡山市立美術館所蔵
(2) 『南苑』 見附市・ギャラリーみつけ所蔵