最盛期から晩年
「自然の中に自らを仮託する」(52才〜81才)
会場の熊一1960年~1989年(昭和35年~平成元年)、この時代は、制作意欲が旺盛であることを伺わせるように、多くの作品が残っている。作品も重厚でかつ詩的であり、風刺的な要素をも含んでいる。熊一はベトナム戦争を憂い、高度成長時代の流れの中で、人の心が別な意味で貧困になっていることを憂いていた。平澤自身、このテーマを扱った作品を多く描いている。この時代は東京での個展も多く、画廊ひろし、兜屋画廊(銀座)で開催している。
世俗的な生き方を排し、自らの信念を貫き、描き続け、身近なものにも毎日新しい発見がある、それを観察すること。平澤は絵を描くことが毎日ごはんを食べるのと同じ、当たり前の生活にならなければ絵は描き続けられないと考えていた。それでいて気張るでなく静かに何時もほほ笑み語りかけてくる。正に絵のなかにその信条が現れている。やはりじっくりと時間を掛けて観察しないと、作品の本質がわからない、けして派手さもなく、てらいもない。特にこの時代の作品はそのように観える。
平澤は63歳で台湾時代で描いた絵の画集の刊行(台湾)や宇都宮在住20年記念展、その他各地方画廊での個展など旺盛に活動している。晩年の頃の作品の絵は静であり、夕焼けの空に自らを溶け込ませながら内在する心を描き、また自らを仮託した老木を描き、描き続けることに執念を感じる絵が多い。永眠する1日前、病院のベットの上で震える手にマジックペンを持ち自分の手を描いた。「俺はまだ描ける」の言葉はこれは正に執念、鬼の業(ゴウ)の如くであった。
作品所蔵美術館:
(1) 『樹木』 宇都宮美術館所蔵
(2) 『森の演奏会』 栃木県立美術館所蔵
(3) 『石山』 宇都宮美術館所蔵